書道における臨書の重要性

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今日は1月2日ですから、書き初めをされている方も多いのではないでしょうか。(1月2日は事始めで、この日に始めると上達が早くなると言われております)

ということで、今回は書道のことについて書いていきたいと思います。早速ですが、書道って臨書がものすごく重要なんです。

恐らく、書道を習っていない方は聞いたこともない単語だと思います。それもそのはずで、小中学校などで行う習字では、実際に臨書もやりませんし、自分から先生に聞かない限り教えてくれることもありません。

これから書道を習いたい方、既に習っているが臨書はやった事がないという方に読んでいただきたい内容です。

※アイキャッチ画像は、梅乃瀬窯のスタッフでもある中矢匡威さんの作品です。

 

臨書とは

まずは、「臨書とは何ぞや」というところからご説明したいと思います。

臨書とは、古典などのお手本を見ながら書くことを言います。だから小学校の習字でも、中国の法帖などを横に置いて、それを見ながら書いているのであれば、臨書ということになります。

ですが、一般的な学校の教科書は、どこかの先生が四字熟語なんかを書いているものが、お手本として掲載されていることが多いため、小中学校の習字の授業では臨書に触れる機会がないのです。私自身、小学生の時は、学校と近所の習字教室で習っておりましたが、臨書をした記憶はありません。先生に書いてもらったお手本を頼りに書いておりました。綺麗に整った字を書くことを目的とする、いわゆる書写ですね。

広義では、お手本を見ながら書く=臨書ですけれども、先生が臨書したものをお手本として書くのは臨書とは言えない気がするので、私は古典を直接見ながら書く場合のみ臨書だと考えております。

 

古典は、日本のものでも中国のものでも構いませんが、歴史が長く、書道(漢字)の本場である中国の古典を重点的に勉強した方がいいですね。最も基本的な古典はやはり書聖と呼ばれる王羲之の「蘭亭序」です。書道史上で一番有名な書作品と言われています。興味のある方は、北京の故宮博物院に実物を展示してあるそうなので、中国観光のついでに寄ってみてはいかがでしょうか。

蘭亭序は行書ですが、楷書であれば、欧陽詢の「九成宮醴泉銘」が人気かつ有名な作品です。日本の古典だと、空海の「風信帖」辺りがよく書かれていますね。それと、あまり知られていませんが、顔真卿って人が編み出した、”顔法”という筆法は明朝体の元になっているんですよ。みなさんも知らず知らずのうちに、中国の偉人の書を見たり書いたりしている訳です。つまり、そのような古典の法帖を見ながら書かなけば、臨書とは言えません。

 

法帖はどこで手に入る?

では、法帖はいったいどこで売っているのかというと、何とも現代っぽいですが「アマゾン:Amazon」をはじめとするネット通販です。中国法書選というすばらしい本がほぼ全巻揃っています。私が住んでいるところは田舎だからかもしれませんが、そこそこ大きい書店に行っても2、3巻しか置いておらず、全然話になりません。書道人口も減っており、置いていてもあまり売れるものじゃないんでしょうね。

ちなみに、半紙や墨液、書道辞典などもアマゾンで購入しております。やはり手軽さと他のものと一緒に購入できるのが大きいです。まぁ厳密に言いますと一部の商品はアマゾンマーケットプレイスなので、書道具の販売業者さんが、アマゾンに出品しているものを買っている形になるんですけどね。

書道具店は、どこも経営が厳しいと聞いておりますから、近くに品揃えがいいお店があれば、応援する気持ちでそちらで買ってあげた方がいいかもしれません。私も高額の筆や公募展用の紙は地元で買うようにしています。実際に品物を見たいというのもありますし。

 

中国法書選は、古典の作品を網羅しており、甲骨文や金文、篆書から草書まで全60巻で構成されています。全部を臨書しようとしたら膨大な時間と労力がかかりますので、自分の興味のある古典から勉強して、納得がいくまで練習したら、次の古典に移るといったような感じでいいと思います。

一冊でだいたい2,000円くらいですが、実は全巻セットでも売っているんです。価格は10万円ほどですからお財布と相談して、余裕があれば買ってみてもいいでしょう。

 

臨書の種類

一口に臨書と言っても、いくつかの種類があります。

 

<形臨>文字そのものの形を真似ることに重点を置いて書き、字形や用筆法を忠実に模倣し技術の向上を図ること。
<意臨>書家の筆意を汲みとることに重点を置いて書き、作品が生まれた時代背景や作者の生き方などの精神性を模倣すること。
<背臨>お手本を完璧に記憶するまで修練し、その書風を自分のものとして他の作品にも応用していくこと。

 

臨書を一度も経験した事がなく、何からやればいいのか分からないという方は、とりあえず、形臨から始められたらいいかと思います。意臨、背臨はかなり上級者向けですね。普通に書道を習いたいだけであれば、ここまではしなくてもよさそうです。

基本は、形を模倣して書く、形臨です。ひたすら書き続けて技術を磨かなければなりません。始めたばかりの人がよくやりがちなのですが、勝手に頭の中で修正して綺麗に書こうとしてしまいます。それでは作品が持っている本来の姿を表現できていないため、せっかく臨書をしても効果が薄いです。

 

「綺麗に書こう」などとは思わずに、多少バランスが悪くても見たままの形を書かなければいけません。古典を見ていると、なんだこれは!!って感じの作品も結構ありますよ。縦画は太いが横画は極端に細いだとか、右や左にこれでもかってぐらい傾いていたり、偏旁の大きさがバラバラだったりと様々です。ですから、自分の目に見えた通りに書けばいいのです。

でも誤字はダメですよ。隷書なんかは石に彫っていることが多いので、長い年月風雨にさらされることによって、欠けている場合がよくありますからね。それ以外にも、絶対必要な点画が消えていることもあります。原帖の字が見づらい時はよく辞書で調べてから書きましょう。誤字の臨書作品を公募展などに出品すると、高確率で落とされます。

 

臨書の重要性

参考までに、上の画像は昨年私が臨書した作品で、米芾の「徳沈帖」という古典です。紙のサイズは2×8尺(約60×240cm)で、通称”にはち”と呼ばれ、公募展などによく使われる最も大きいサイズです。これより大きい作品はどうするのかと言うと、にはち紙や全紙などを、何枚も貼り合わせます。そのため、縦横が数メートルにもなる大作を近づいてよく見ると、ところどころに繋ぎ目があります。

書くものによって異なりますが、この作品の場合、大きい字で半紙とちょうど同じくらいのサイズですね。字が大きくなるにつれアラが目立つので、大きい作品を書くときは、事前に半紙で臨書の練習をしておかなければなりません。ですから、いきなり大作に挑戦しても、紙と墨が無駄になるだけです。もちろん、感覚を養うために経験として1、2枚書いてみるのはいいと思います。

 

また、臨書が不十分な状態で、創作の作品を書くのも控えた方がいいです。※創作とは、古典などを参考にして自分なりの表現で書くこと。見る人が見れば「この人は普段から臨書をしていないな」と一瞬でばれますよ。レベルの高い書道の展覧会に出品しても、評価はしてもらえません。自己満足で、ストレス発散のために書いているのでしたらいいですが、人に認められたいという気持ちが少しでもあれば、しっかり臨書をしましょう。

日々の臨書で鍛え上げた、強靭な線は、人を感動させることもできますし、自分の自信にも繋がります。私も、先生方の作品を目の前にすると、胸の辺りがドキッとなることがあります。生命感に満ち溢れた作品は、それぐらいのパワーがあるのです。

 

あと、最近「遊書」なるものが流行っていますね。あれはあれであってもいいですし、別に悪いわけでもないのですが、嘆かわしいのは、遊書が書道だと勘違いしている人がいる事です。書道と水墨画の間みたいな感じで、まぁ何というか”絵”ですね。

書道はあくまでも文字であって、線の芸術ですから、あのようにベタベタと書くものではないのです。だから、文字として誰が見ても読めなければいけませんし、線が死んでいてもダメです。死んだ線というのは、小手先だけで書かれた筆力のない繊弱な線のことです。こういったことを理解した上で書くなら全く問題ありません。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。臨書がいかに大切かお分かりいただけたと思います。書道を極めたいのであれば、ひたすら古典の臨書をするしかありません。

「書は人なり」とよく聞くと思います。書道の線には、人間性や精神性が如実に表れますから、上辺だけ取り繕っても隠し切れないんですね。

だからみなさんも、もっと書道のことを深く知りたいと感じたら、ぜひ臨書を頑張ってみて下さい。

 

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